【観光前に必読】国宝「平等院」の歴史:始まりは別荘からの仏寺

宇治の観光といえば、言わずと知れた国宝「平等院」です。

平成の大修理を経て、一層、注目が集まっています。

池の中島に建てられた鳳凰堂が、水面に映る姿は、極楽の宝池に浮かぶ蚊のような美しさです。

皆さまも心を奪われることでしょう。季節のうつろいとともに、一年を通して、豊かな表情を楽しむことができるはずです。今回は、そんな平等院の歴史について、解説したいと思います。

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平安時代

平等院は、1052年(永承7年)に、開創されました。

関白藤原頼通が、父の道永より譲り受けた別荘を仏寺に改めたことが平等院の始まりです。

この年は、仏法が盛んで、「修行することによって悟りを得ることができる」と考える時代の始まった年(末法初年)とされています。

この末法思想が、貴族や僧侶の心を捉えて、極楽往生を願う浄土心境が広く浸透していきました。

翌年の1053年(天喜元年)には、鳳凰堂(阿弥陀堂)ができました。

鳳凰堂は、平安時代の最高の仏師定朝により制作された阿弥陀如来坐像が安置されています。当時の、華やかさを極めたと言われています。

鳳凰堂:国宝

藤原頼道により建立された阿弥陀堂です。池の中島に建てられており、極楽の宝池に浮かぶ宮堂のように、美しい姿が水面に映ります。鳳凰堂を正面から見た姿が、翼を広げた鳥のように見えることと、屋根上に1対の鳳凰が据えられていることから、「鳳凰堂」と呼ばれるようになりました。

1180年(治承4年)史上初めての切腹の場所となりました。

以仁王の命令で、源頼政が平家打倒を掲げて挙兵し、宇治で合戦が起こりました。

しかし、敗北して、平等院にて、自ら命を絶ちました。

これは、史上初の切腹とされています。現在この場所は「扇の芝」と呼ばれ、境内には頼政の墓もあります。

中近世(鎌倉時代〜江戸時代)

1230年(鎌倉時代前期)創建時の本堂の跡地に観音堂が建立されました。

観音堂:重要文化材・2018年6月現在非公開

簡素な建物ながら、垂木を地円飛角の二軒とし、天平以来の格式高い様式となっています。

1336年(建武3年)多くの釈迦が焼失しました。

足利軍と戦う楠木正成が平等院周辺に放火したためです。

1492年、平等院の修復のため浄土院が開創されました。

1640年(寛永17年)羅漢堂が建立されました。

1654年(承応3年)最勝院が開創しました。

1670年(寛文10年)鳳凰堂(阿弥陀堂)の大規模修理が行われました。

1670年の鳳凰堂大規模修理によって、正面扉が取り替えられました。

この時期に、阿弥陀堂が鳳凰堂と呼ばれるようになりました。

浄土宗の浄土院、天台宗の最勝院の両宗が協力して、平等院の維持をするようになります。

1698年(元禄11年)宇治は大火に見舞われ、寺の荒廃が進みます。

近現代(明治〜平成)

1902年 鳳凰堂の明治修理が行われました。

同時に雲中供養菩薩像が修復され、現在の姿になりました。

1950年には、鳳凰堂の明治の大修理が行われました。

1951年、鳳凰堂と阿弥陀如来坐像が国宝に指定されました。

鳳凰堂は、10円硬貨のデザインにも採用されます。

その後、雪中供養菩薩像、天蓋、鳳凰堂中堂壁扉画、鳳凰が次々と国宝に指定されています

1967年文化財保護のため、鳳凰、鳳凰堂中堂扉画が順に取り替えられました。

1990年、州浜の復元を含む庭園が整備されました。

1994年「古都京都の文化財」としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。

2001年ミュージアム鳳翔館が会館しました。

2003阿弥陀如来坐像、天蓋の大修理が行われました。

2012鳳凰堂平成の大修理

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